2008/10/01

九段にいます。会いに来て下さい

ただいま京都!帰ってきたよ!
ってことで、1年以上の大阪勤務が終了して京都の事務所に帰ってきました。
もう終電で帰ってくることもないんやね、、、よかったよかった、、、ここも頻繁に更新できそう。
と思いきや、いきなり自社請けの炎上プロジェクトに投入されている安井です。火消しだぜべらんめー!こんばんは。


さてさて、先週東京へ遊びに行ってまいりました。
メインはついったーのオフでもあったのですが、横浜へ行った友達にも会いに行ってきた。
ま、そのへんは楽しかったな~ってことでいろいろあったんだけど、
やっぱり東京へ行くことでどうしても行っておきたかったところがあったのでその話し。

どうして、靖国神社へ行きたかった。
明治維新からの戦死者を祭る靖国神社へ行きたかった。
神社へ詣でて、遊就館を見て、海軍コーヒーと海軍カレーを食べたかった。

とりあえず先に言っておきますが、自分は右翼ではありませんよ。
ただ、先の戦争で日本を想い、日本の為に散っていった人々にどうしても感謝がしたかったから。
彼ら彼女らの犠牲があったからこその現代があると思っているからこそ、どうしても靖国神社へ行きたかった。
それって右翼と言われてもしょうがないのかな、、、

地下鉄で九段下から徒歩3分くらい。大きな鳥居が見えた。街の雑踏の中に出てくる鳥居と木々にちょっとびびる。
一歩中に入ると一気に空気は変わった。何か厳か。何か異質。何か変化。

広い参道を歩む。大村益二郎の銅像だ!これが、、、あぁ、感無量・・・
再び現れる門をくぐる。扉には大きな菊紋が!圧倒。境内へ。
桜が参道の左右の囲む。3本目の桜の木の下で待っているって言ってたのは何のやつだっけな、、、
社前へ。あぁ、、ここだ。ここだ。見たことある。
賽銭なんていらないよ。だってほんとに気持ちを込めるから。
奥を見つめる・・・・・・・・・・・
参拝・・・・・・・・・・・・・・・

神社は色々と見てきたけど、こんなにも心に問いかけるような神社は初めてだ。
もちろん、思い込みがあっただろうとは思うけど、なんだろ、参拝者の心が残りすぎというか、そういう感じがすごくした。

参拝後は遊就館へ。
遊就館はwikipediaによると「合祀された英霊の遺品や資料、戦争で使用された武器などを展示。収蔵品は約10万点。約5000人の遺影もある。」という建物。
日本の歴史と戦争にまつわる展示品が年代順に並んでおり、およそ1時間で回れると案内にあったが、軽く3時間くらいは見ていた。
いや、3時間は余裕でかかった。もっと見たいものがあったくらい。

半分近くは日本の近代戦争のこと。
よくもまぁこんなにも資料がそろってるもんだ。ほんとに見るべき価値があった。
日本からの視点で展示されてはいるが、歴史に忠実である。日露戦争時の血染めの軍服など、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいただけに、脳裏に物語として出てきたくらい。

展示を巡って行くと、最後に第二次世界大戦へ出向いた兵士の遺書の展示にあたる。
涙無しでは読めない。
お国の為といいながら、ちゃんと家族への愛を感じられる。
自分よりも若い兵士がこんなにも思いを出すなんて、心が揺さぶられないわけがない。
涙で先が読めない遺書・・・

外へ出て再び神殿を参拝した。
その時は、最初に参拝したときとは違う心持ちになっていた。
より深く、より真摯に手を合せた。

遊就館を見ていた時間が長すぎたので海軍カレーもコーヒーも食することができなかったが、
それ以上に心に残るものがあった。そこに残さなければならないものがあった。思いを伝えなければならないものがあった。

戦争というものが何なのか、とてつもなく考えさせられた。

ほんとうに言葉では表現できない。
こんなにも心に刺さったことはない。
行ってよかった。そして、もう一度行きたい。
次は春の桜が咲く頃に

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なげーよ!w

合祀された方々の個々人の思いや戦争を始めた人の思いは色々あったと思うんだけど『日本のための戦争で戦った』事実は厳然として存在しているわけで、そこに深い思いを持つことを右とは感じないなぁ。
って言う僕が右なのかなぁ・・・

安井 さんのコメント...

今や右翼って言葉自体が形骸化しているというか、広い意味を含むようになったからなぁ~

ま、僕は「右翼より左翼の環境派」とでも言っておきましょうかw