2008/10/22

過去の情報を集めること

兄貴の誕生日だと聞いたのでメールを打ってみた。1分後にメールが来た。タイトルが「HAPPY BIRTHDAY」というスパムメールだった。
なに?メールの内容が漏れているんか!なんでこんなにもタイミングよくくるんだ?
メールだからって個人情報流すのはよくないんかなと思った安井です。ま、いいけど。こんばんは。


京都新聞の夕刊に養老孟司がコラムを寄せていた。
内容を自分の解釈で要約すると
「出来事とは全て済んでしまったこと。インターネットの普及により情報過多となったと言われるが、全ての情報は過去である。ニュースに詳しいということは過去に向かって生きていることである。でも、人は未来に向かって生きている。そこを忘れてはいないか」
ということだった。

なんだかこうガビーンときた。
ネット社会のど真ん中に生きていて、日々最速のニュースが流れてくるのを読み取り、自分が最先端にいるような気がしていた。
それなのに、結局それも過去に捕らわれているに過ぎないんじゃないかと思って。

そう思うと、自分はどこにいるんだろうかと思ってしまった。
ここはどこだろうか。ネットとは過去のものの集合体でしかないのだろうか。それなら自分は何を見ているのだろうか。
何を必死になってって思った、、、

養老孟司がその後に言っている。
「過去のことは過去でしかないし、今起きている変化に対応すべきである。そして、未来を予測すると『生きる』ことがむずかしくなる。予測が怖がらずに実践すべきではないか」
自分ではそう捕らえられる言葉がつづられていた。

自分は知識を欲している。例え過去のことであろうとも、知識を仕入れることで自分が少し大きくなったように思える。
知識が欲しい。知らないことが知りたい。見たこと無いものが見たい。経験したことないことがしたい。

それは過去を見て、今を受け入れて、未来を感じたい。そういうことじゃないんだろうか。
言葉は違えど、言いたいことがどこか繋がっている。そう思えた。
自分をもう少し信じてみようかと、自分なりの解釈で自分を見なければ、心が折れそうに思った。

2 件のコメント:

弥生タイム さんのコメント...

全く新しいものを作り出すとしても記憶(=過去)から作られる。

とかなんとか、ソレっぽい事を攻殻で言ってたような気がするけどヤスイさん覚えてないかしら?

未来を予測するにしても、予測は過去の情報が無いとできないこと。
情報に新旧はあれど、過去のことだからとか気にしないのがいいような気がするかなぁ。

安井 さんのコメント...

過去の模倣だとかどうだとかの話しがあったと思う。たぶん。

過去を見るなって言っているわけじゃなくて、あまりにも過去を見すぎているのじゃないかと言いたいのかなと思った。
情報化されすぎて、情報そのものの価値感が変わってきているのかなと思わされることだと。

温故知新ってことなのかな~