2009/04/27

最近の行動とか

どもども、仕事の奴隷している安井です。こんばんは。

30日までの契約なのでとりあえずはあと4日で山が越える感じですね。
まったくもって収束に向かってないけど。
自分の能力の低さとか頭の悪さとかも関係あるけど、まー、いろいろ言いたいこともあるね。
いつか、ちゃんとこうやったらうまくいくプロジェクトになるみたいなのにまとめてみたい。
だいぶ課題を残すことになるのがどうもやだなぁ、、、
次はちゃんとやりたいと思います。

清原家の所有について、家に帰ったらいろいろやってたんだけど、
とりあえずは大家へ返却して、他の人に貸すことになった。
で、借りたい人を紹介ということで、とりあえずは友達が住むことになった。
たぶん長いこと住んでくれることになるだろうから、これでいいか。
だいぶモメたけど、結局はそんな感じです。
またあの家に集まれることができるってのが一番うれしい。

あと、エウレカセブンの劇場版を観に行った。
もうね、恋がしたくなる作品でした。
ストーリーとか関係なくて、とりあえず恋がしたーい!ってなる作品でした。
エウレカかわいいなぁ~ またみたいです。

そんなんでまた会いましょう。

2009/04/22

生きてます・・・

更新してないけど、生きていますよ
仕事行って帰って飯食って風呂入って寝るだけの生活してます。
あと一週間がんばります。。。

2009/04/14

他人がいない道を進む

世論調査ってあるけど、あれってほんとアテにならんよな。
誰に聞いてるんだろ?自分は聞かれた事が無い。
ヘタしたらあれって捏造に近いこと起きているんじゃないかなと思う。
個人的には嫌いですよ。あれは都合のいいもんでしたかない。
ま、そんなこと思ってたら「たかじんのそこまで言って委員会」でも言ってたはな。
てことでこんばんは、メディア大嫌い安井です。


人の意見ってのはいろいろ聞くべきですよね。
なんとなくね、大きな意見というか大多数の言葉がそのまま総意とされてますよね。
それって民主主義なのでいいんだとは思うけど、小さな声が聞こえにくいんじゃないかなと思う。
何があったからってことじゃないけど、なんとなくそう思った。

個人的に何主義ってあるわけじゃないないけど、小さなことでいいけど反対意見は聞きたいと思っている。
例え一つの正しいことを言い合うことであっても、違う意見を聞くべきだと思う。

世の中って、全てが正しいことだけをしていたら上手くいくってことじゃないと思うのですよ。
例えば、世の中からやくざがなくなるべきではないとか、フセインはいるべきだったのかとか。
たかじんのそこまで言って委員会に田島陽子はいるべきだとか。
どんなことでもいいけど、小さなことを見てみるべきだなと。
ちょっとしたことでもいいけど反対意見って大切にすべきだよ。

みんなが同じコトを言うだけってイイコトじゃないと思う。
今やホントに民主主義。長いものには巻かれろだし、他の人と違うことしたらいじめられる。
全て均等になるのがいいような世の中。
そんなふうに安定してしまうのはよくないと思っている。たとえ間違いだとしても、他人と違うことができるようになればいいと思う。

安定というは固まること。物質が安定するとそれは結晶。
そこからの進化は何も望めない。そんなのいいわけない。

村上春樹も言っていた。卵の立場になりたいって。
きっと根本的な考えてることって同じじゃないかなと思うんだ。

みんなが右を見るなら左を見て。みんなが左をみるなら右を見てみたらいいんだよ。
やるべきことをやるだけさ、だからうまくいくんだよ

2009/04/13

例えば僕と桜の木の下で

二日酔いの日は起き抜けから酒を飲むと二日酔いにならない。
そんなあほみたいなどうでもいいことばかり学んでいます。
車に乗らないとならんので今日は飲めてませんでしたけどね。
そんな安井です。どもどもこんばんは。

花見をした。
友達んとの店が、この時期に庭を開放して花見をしている。
とてもキレイ。ほんとにきれい。
ちょっとは値が張るが桜もいいし、お手伝いのおばさんもおもしろくていい。
三年目ですが、できれば毎年やりたいな。
こうやって仲間が集まれたらいいよな。

あ~、最近ブログの内容がどうでもいいことばかりだな。
もうちょっといろいろ考えれるようになります。
はぇ~

2009/04/09

本とかマンガとか。

帰宅で家に帰るとき、家に近づくと桜の匂いがしてくる。
家に帰るといつも家の前の桜を見上げてすこしばかりぼけーとしている。
4年振りにこの感触だなと実感。
自分はこれを守りたいですよ。ども、こんばんは、安井です。


なんだかんだ言いながら読書はしている。
ちょっとした空き時間に読んでる。電車一駅分、業務時間の昼休み、寝る前のちょっとした時間。
やっぱり本を読むことでストレスの解消をしているようにも思うな。
もちろん、仕事のことはちゃんと考えてますよ。
休みの日でもいろいろね。

中場利一と中島らもの小説をだいぶそろえて読んだ。
普段あんまり読まない人だから、いつもの感じと違うのがまたいいな。

中場利一は岸和田少年愚連隊関連以外のがけっこう好きなんですよ。
銀行員しているサラリーマンの話しとかすごく好きだな。
独特の雰囲気がとてもいい。
たまに読むとこういのがすんなり入ってくるね。
メインディッシュじゃないけど、つまみ食いとしてはすごく楽しい。

あと、らも師匠の最後らへんの作品ってどうもいろいろ崩壊しているように思う。
「酒気帯び車椅子」なんて、よくこれで一冊の本にできたなと思えるくらいだった。
正直これはちょっとあかんよ・・・

あと、なんだかんだ言いながら「エウレカセブン」のアニメを50話全部見直した。
2ヶ月くらいかけて時間見つけて観てた。
もうね、声が出ません。
観ないと!観てよ!すごいよ!毎回クライマックス!
ちゃんと感想書けないけど、観ろよ。観たらわかるさ。
ほんとに。

ま、そんなこともしていますよってことです。
ではまた。

2009/04/07

バイシクル・パンダ

例えば仕事中、エンターを軽快に押したり、文字打つ時にリズム刻んだり、
ちょっとしたことでもちょっとしたエンターテイメントを求めたいですよね。
いつもながらそんな感じで仕事してたら、席移動してきた近くの人にびっくりされました。
楽しくしようぜ!みんな固い硬いよ!ってことで、どもこんばんは、安井です。


京都の中心部に駐輪場を作ろうってことで、東洞院六角のとこの公園の地下に駐輪場の建設が始まりましたね。
なんかいろいろと反対だの云々があったようです。
個人的にはいいんじゃないかなって思うけどね。

さてさて、新聞なんかを読んでいると、よくコラムでも自転車の話しが出てくることがある。
たいがいは高齢者の投稿で、道路に駐輪して迷惑だとか、自転車のスピード出しすぎで危ないだの、最近は自転車が増えてマナーが悪いってのが目立つような気がする。

自転車が増えているってのは個人的にもそうだなって感じることろであるね。
自転車増えている。路上駐輪もけっこう多いと思う。バイクよりも自転車増えた感じがする。

ちなみに言うと、最近は車やバイクにほとんど乗らなくなった。
京都市内はもっぱら自転車で移動している。だって、排気ガス出さないんだよ。エネルギーは自分の根性!どんだけクリーンなんだよ。
きっとみんなもそんな気持ちで自転車使ってるんだと思いたいな、、、

時代はエネルギー削減が主流。温室効果ガス削減の名を国を挙げて言ってるくらいだもんね。
国が自転車をもっと推進すべきだ。
自動車の生産が落ちるなんて当たり前だよ。
経済を助けるとかで車を買わせるような動きするなんてナンセンス過ぎる。
GDPで国の成長計るなんてバカバカしくてしょうがないと思ってる。

成長し切って飽和した社会に必要なのは文化的要素。
いつまでも第二次産業を擁護する国の方針は人類の進歩すらも止めてしまっていると思っている。
頭の固い人がこれ以上、政治や経済に蔓延り牛耳るのは時代遅れも甚だしい。
さっさと引退して年金で暮してろよ。

ま、言い過ぎたけど、自転車をもっとフィーチャーしてもいいんじゃないかな。
特に京都なんて車の移動よりも自転車の方が早い場合もけっこうある。
料金の安い駐輪場の整備と車道に自転車ゾーンを設ける。これをもうちょっと押すだけで、エコ都市なんていろいろアピールもできたり。
せっかく"京都議定書"ってのがあるんだから、うまく使えばいいのに。

自分は明日も自転車、駅からは徒歩だ!
エコエコアザラク!

2009/04/06

花見とかさ

毎年、この時期になると大学時代の友達と花見をする。
学年的にはいっこ上の友達だけど、毎年やっている。

楽しかったです。
明日からもがんばれそうです。

ちょっと飲みすぎた。

2009/04/03

間違えた

明日休みだと思ってた。
あぶない!

2009/04/01

自由って何だろうかな

桜がすごくいい感じで咲き出した。
駅からの帰りにきょろきょろと見渡して桜を楽しんでいる。
学生のころに酔っ払って円山公園の桜の木を折って警察に連衡された黒歴史思い出しながらこんばんは、飲んでも飲まれたらだめです安井です。


自由ってなんだろなと思った。特に理由はないけど、自由ってなんだろって頭にあった。
自分が通ってた高校の校訓が「自由と規律」、大学の教育理念が「自由自治」だった。

自分が通ってきた道の中で「自由」という言葉が顕著に出てきていた。
個人的に、自由というのはいつでも「責任」が付き纏っていた。
好きなことをしてもいいが、それは自分が選んだこと、全て自分が背負うことになると思っていた。
自由ってそういうもんでしょう。
なんとなく、自由の履き違えをしている人が多いなと思う最近だな。

関係ないけど、坂口尚の「石の花」というマンガにこんな言葉がでてくるのを思い出したので抜粋。
ナチの将校とユーゴの二重スパイの会話で、ナチの将校がナチの存在意義と自由について言ってたこと。

「人間は思想(イデオロギー)を発明し、宗教をも発明した。
しかし、真の平和はやってこない、むしろ争いの種になっている。
思想は思想とぶつかり、一つの宗教さえ二つにわれ宗派を生み争う、同じ平和を求めてこの始末だ。
なぜなら、人間は公平に客観的に判断することなど到底できない具合になっているからだ。
人間は伝統やら習慣の衣を意識しようがしまいが着せられている。
ある家で生まれ、ある町で育ち、ある国で働き、ある人に出会い、ある本と語り・・・
いつもある条件の中で生きている。
いうなれば、この世の中は無数の偏見がせめぎ合っている海原だ。
渦巻き、逆巻き、波は激しさを増しこそすれ、静まりはしまい。

話し合いから平和な世界国家を実現できるわけはないんだ。
実現方法はだだ一つ。
ウムをいわせぬ巨きな力こそが統一と強調を生み、維持できるのだ!
(中略)
神でもない人間が勝手にものさしをつくっているのは民主主義の中にもいたるところにある。
法律もそうだ。裁判所では人間が人間を裁いている。
議会はどうだ。過半数を取り、少数意見を切り捨てる。数の暴力だ!
(中略)
民衆は抽象的な平和論よりも、現実に足りないものを補う力を求める。
女が弱者を支配するよりは強者につくのを好むように、
民衆も自由を受け入れるより 支配者を好む

生まれたとき備わっていた自由な心を
不安と混乱の世の中で待ち続けるというのはやっかいなものだ
絶え間なくつきつけられる問いに、
何が善で、何が悪かを自由な心で自ら選ばなければならないというのは重荷だ。
しかし、生まれたときから何色にも染まっていなかった自由な心は、
次つぎにある条件という衣を着せられていくんだからな

世の中はますます複雑になっているし、
いくつもの思想(イデオロギー)の道ができ、
いくつもの宗教の花が咲き、
いくつもの神が手招きをする。

そのひとつひとつを自由な心で選ぶとうのはとてつもないエネルギーがいる。
そんな自由はいっそ誰かに預けてしまった方が楽なのだ。
ある国家に。ある宗教に。ある伝統に。ある習慣に。
自ら問い、自ら悩み、自ら選ぶ自由より、
ある権威に従ってしまった方が楽なのだ。

やがて、どこまでが他人の不正で、どこからが自分の不正なのかもわからなくなる。
その方が自分を責めずにすむし、心安らかに暮らせるじゃないか。
(中略)
たとえ反抗を試みても、この複雑で前色だらけの世の中を相手じゃ
自らの非力を思い知らされるだけだ。

どうにか仲間らしき人間達が集まっている場所を見つけ駆けよると、
やはり不消化の塊をかかえている人間ばかりだ。
なじったところで、その人間達と自分は、本来少しも違いは無いのだから、
鏡の中の自分を責めいていることになってしまう。

やがて疲れあきらめ
人間は群れから離れるよりも、群れの中で自分を消す方が安心できると気付く。
人間は自由よりもナニカの奴隷でいることの方が、どんだけほっとするのかしれないのにだ。
(中略)
人間はこのうつろい易い過ぎ去り行く世界で唯一絶対のものを求めたいのだ。
自分を支えてくれる確かなささえをな・・・

(ここで未来の希望はあると二重スパイが言う)

きみなら自由の重さに耐えぬけていけただろう・・・
(中略)
自由を捨てたがっているのはその多くの人間達じゃないか
(後略)


といった内容。
長くなったけど、これを読んで感動した。

自由と人間の弱さなんかを考えさせられた。
自由ってなんだろな。

ま、上の文章が書きたかっただけのような内容でした。