2008/10/29

病院の存在、医師の価値

こないだ酔った拍子にパソコン触ってたら思わずポチってしまったフィギュアが届いた。
ま、ここで何かどうかってことも言うのは恥ずかしいので割愛ですが、某アニメのにょろ~んと未来からの使者の学園祭の姿が揃いましたとさ。
はい、ま、あほでいいです。どもどもこんばんは。


先日、東京都内で8つの病院に救急搬送を断られた妊婦が脳内出血で死亡したという事件があった。
この事件の根本的な原因は搬送システムの不備というものがあったが、もちろん決定的な医師不足もあり、産科医離れもあった。どこを責めるというものでもないかもしれない。

自分はいつも思っていることがある。
医師は万能ではないし、ニンゲンなのである。ということだ。

今の社会だと医師は患者を救って当たり前のような風潮があるが、そんなことない。
医師もニンゲンであり、病院という社会で働く者であり、家庭も子どももいる人だっている。
全てが全てブラックジャックじゃないし、心もみんなと同じものを持っている。

自分に言い聞かせているけども、死んでいたかもしれない怪我や病気を医師が救ってくれることがる ということだ。
つまり、病院があり、医療技術があり、医師がおることで救われることもあるということを思っておかなければならないということ。

今まで、親類が重度の病気にかかることが多々あった。
本来ならば直ぐにでも死んでいたかもしれないのに、治療を受けることで延命できることができた。
その時間をとても大切にできた。
もしかしたらあの時に、違う治療を施したらもっと延命できたかもしれない、、、そう思うこともある。
しかし、本当に病院なかったらそれすら思えることはなかっただろう。
院内感染の疑惑を持って亡くなった親類もいたが、今では感謝すらできる。

もちろん、この先に自分の妻や子どもができて、明らかな医療ミスで死んだとした場合、どう思うかはわからないが、
きっとそれなりの対処ができるのではないかと思っている。冷たいのとは違うと思っている。

もう少し今の医療批判の報道は控えるべきではないだろうか。医師不足なんて厚生省がありえない方針出したせいだし、現場の医療ミスだってそのツケが回ってきたものでもある。

いつからか医療を受けられることが当たり前になってしまっている。
医師の治療を受けることのないように自分が普段から気を付ける事が先決で、病気にならんようにするのが当たり前である。
ま、ここでいろいろ言われるとは思うが、それはどうなんだろうか。一度話し合ってもみたいな。

軒並み右肩上がりの医療費、自分の注意で少しは国の負担も減るのではないでしょうか。
そう思ったものでした。

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