2009/02/11

インプット・アウトプット

休みの前の日は湯船にゆっくり浸かりながら1時間くらい本を読む。
夜が少しくらい遅くなってもいいからこういうことをする。自分にとって結構な贅沢な時間の使い方。
風呂のフタ(?)を半分くらい閉めてそれを手の置き場にしている。
あ~、なんかいろいろ思い出した謝りたい。ども、こんばんは安井です。ごめんなさい。


お風呂で思うのは、こうやって何か読むのもいいけど、ぼけーといろいろ考えるのが好き。
風呂ん中って一度なにやら考えだすと次々といろんなアイデアというか考えが出てくる。
この日記?ブログ?のネタもけっこう風呂ん中で出てくることがある。

ああやって何もしないで頭を働かすことって他のとこだとやってないのかな。
たぶん、普段普通に生活していると他の刺激がありすぎて頭の処理がそれに使われて、
思考が低下しているんじゃないかなと思う。
着る物もなく水に入り、映像も音もない、こういうことで外部刺激が少ないんだろうか。
ドクター中松も水中でアイデアを出すとか言ってたような気がする。

ま、外部刺激が強すぎると思考って低下するんじゃないかとなんとなく思ってしまう。
ってことは、テレビから流される映像と音をひたすら浴びていると考えない人ができるのかな。
本を読んでいるだけ、本当に読むだけなら考えないのかな。講義でも聴くだけなら考えないのかな。

何が言いたいかというと、入ってきた情報をそのまま受け入れることは脳の活性にもなってないのかなと。
風呂だとインプットが無くてアウトプットに専念している。それがあることでイメージが広がっていく。
つまり、インプットだけだと意味がないよなってこと。アウトプットを行おうとするこで知識が溜まり、脳が活性して、アイデアとか出てくるんだろうなと。
聞いていることを覚えようとすることで、頭の中にアウトプットするから覚えられるのか?

あれ、、、よくあるあれか、シナプスに電流をながすってこれか。
回りくどく考えたけど、結局そういうことか。
入ってきた情報を覚えよう、考察しよう、伝えようとすることに意味があるのか。
技術書読むだけじゃなくて、それを使って何か作れば覚えていくってことか。

むむ、、、このネタは広がるなって思って書き始めたけど、結局なんてことないやん。
って、こうやってアウトプットしようとすることで考えは広がっていくってことか。
なんじゃそりゃというオチ。

0 件のコメント: