コトが起きれば思い出して号泣して書けないと思うから、今書いておく。
実家の犬が死にそうです。
実家では、柴犬の血を引いた白い雑種の犬を飼っているが、ここ数日立ち上がることさえほぼなくなった。
14歳。犬にしたら長生きしている方。
以前から調子が悪くて、腹水も溜まっており、獣医から残りの命が少ないと言われていた。
去年の夏くらいにどうもしんどそうで、医者に連れて行ったら、夏が越せるかどうかと言われていた。
それでも、食事療法や、利尿剤で腹水を溜まらないようしたりで、なんとか今までやってきた。
でも、ここ2,3日、食事もろくに摂らなくなった。
今日、会いに行っても、寝たままで、軽くこっちを見る程度。
既に呼吸をするのもしんどそうな感じであった。
もちろん、まだ死んではいないので、あまりそんなこと言うのはなんだけど、
14年も一緒にいるから、やっぱりいろいろとわかってしまう。
今回の状態はやばい。
ほんの1週間前に帰ったときは、あんなにもよろこんで散歩にも行ってくれてたのに、、、
もって数日だろうか。。。
母親は毎朝、ちゃんと生きているか確認するのが心痛いと言っている。
そんなことを聞いたとき、泣き顔を見られたくないのでそっぽ向いてたな、、、ごめん。
犬の名前は「禅(ゼン)」。
自分が小学5年生の時に家にやってきた。
親戚のおじさんが趣味で猟をしていて、山の中に捨てられていたのを拾ってきたのをもってきた。
あの時の情景は今でも思い出せる。生まれて数ヶ月の子犬だった。
真っ白な毛で、小学生の自分の手のひらに乗るくらい小さかった。
もちろん、誰の異論もなく家で飼うことになった。
翌朝に家の前で一緒に遊んだことははっきりと思い出せる。
12月も終わりを迎えようとしていた寒い日だった。
嬉しくて早起きした自分は、朝日が輝く中で一緒に家の前の公園で走っていた。
無邪気に走り回るゼンの姿は、目を瞑らなくても出てくる。
飼い始めて3ヶ月ぐらいで、親が散歩している時に、山の崖から落ちたこともあった。
右後足を骨折。
獣医に連れて行った時に、この子は一生びっこひきずって生きていくことになるかもしれないと言われた。
幼い自分には、それがどういうものか理解できなかった。
でも、近所の有名な獣医に連れて行って、最新の医療を受けることになり、なんとかそれはまぬがれた。
ちゃんと骨もくっついて、後遺症も残らないまで回復したのだ。
今から思えば、かなり奇跡に近いもんだと思っている。
3人兄妹の末っ子の自分にとって、ゼンは弟のような存在だった。
小学生時代は、近所に遊びに行く時も連れて行ったりもしていたし、
高校になるまでは、毎朝自分が散歩に行っていた。
高校からは家庭の事情から、夜が自分の散歩担当になった。大学生になってもそれは続いていた。
散歩することで季節の変化もよく感じられるようにもなったし、近所の付き合いも増えた。
犬がいる生活が当たり前になったし、家族の絆も深くなったと思っている。
でも、家族での旅行は大変だった。
うちの家は、1年に一度は必ず家族でどこかに旅行に行っていた。
一度、3泊の旅行をしたときに、ペットのホテルに預けたが、迎えにいくと尻尾のさきっぽの毛がなくなっていた。
ストレスで尻尾の毛を噛み切ったらしい。それ以来、預けるようなことはしなくなった。
長期の旅行は避けて、1泊旅行が多くなり、散歩や餌やりを親戚や近所の人に頼むようにもなった。
でも、全然そんなことを気に病んでいることはない。
家族だから寂しい思いをさせたくないと思ったのは、みんなの同じ意見だったから。
毎朝、毎夜の散歩が嫌になることももちろんあった。
高校、大学時代は、これから夜の酒盛りが始まるとか、楽しくなってきた時に、散歩する為に一度家に帰らなくてはならないのが、無性に腹立たしいこともあった。
でも、自分が家に帰ると尻尾を振って身体全体で喜んでくれる姿を見ると、そんなこと全てが吹き飛んだ。
自分が犬の散歩で一度は家に帰ることを友達も認めてくれていたことも、すごく助かっている。
大学4回生のとき、就職も決まって、一度家から出てみるべきだと思った。
いろいろとあったり、自分なりに考えて、本気で一度親元から離れて過ごすことを決意して、
今の家に学生時代の友人とシェアすることになった。
自転車でわずか7,8分の距離。週末は家に帰ってゼンの散歩もしていた。
顔を会わすのも週に1度あるかないかなのに、ちゃんと覚えていてくれるのがうれしかった。
いろいろと連れ行った。時間があれば山で放して走りまわらせたことが多かった。
心を塞ぎ込んだ時に、いつのも通りに自分の帰宅を喜んでくれた時は、自分を見つめなおす切っ掛けにもなった。
思い出がたくさんある。
いつも生活の中にいた。
たかがペットなんだけど、自分が歩んできた25年の人生の中で、14年も一緒にいた。
自分にとって、ペット以上の存在になっている。さっきも言ったが弟のような存在。
生き物の生死を感じ取れるようになってから、ゼンの方が死期が早いことを考えるようになり、
その時のことを想像すると怖かった。
でも、人の生き死にを経験して、それを受け入れられる心も形成されるようにもなっている。
逆に、それが寂しい思いでもあるが、それがまた生きるもの全ての通る道でもある。
死を受け入れられることは、死んだ者からすればシアワセなのかもしれなとすら思っている。
それでも、死を受け入れることはむずかしい。
今日、親と話しをした。死んだらどうするか。
自分の意見として、火葬してもらい灰は、家の前の史跡公園に埋めたいと言った。
近所の人しか使わない、小さな史跡公園。遊具もない公園。木しかない公園。
でも、ここでゼンと遊んだ記憶が多すぎて、ここに埋めたいとずっと思っていたから。
そして、いつまでも近くにいれると思っているから。
もちろん、これは合法なことではないかもしれないし、近所の人が知ったら嫌がられるかもしれない。
だから、身内だけでこっそり埋めてしまいたい。そう言った。
ハタから見れば、なんて親バカな考えかもしれないと思われるかもしれないが、
当事者からすれば、とても大切なこと。
それをブログで公開するのもありえないことだと解っている。でも、そうしたいんだ。
文字で記憶させたいんだ。ゼンが生きていた記憶がネット上の片隅にでも残っていたらいいんだと、、、
その日も近いかもしれない。
今日の帰り際、家を出る時に見た姿が、最後の姿になるかもしれないと思った。
その時は見送ってくれた親に、言いたくても言えなかった言葉「これが最期かもね」って。
言ってしまえば、その場で泣いて、帰りたくないって言ってしまいそうだったから。
だから、「次の日曜に帰ってくるから、その時にまた」って笑顔で言った。心で泣いた。
もちろん、まだ死んではいない。
だから、僕の心が折れないうちに留めておきたかったことを書いた。
長くなったけど、それでも書き足りない分は、僕の心の中にあります。
「ありがとう」はまだ言えない。
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