2008/12/15

批判する先のことを知ること

先日、月がキレイだといわれて、仕事帰りに見ようと思いながらも見てなかった。
なんだか意識しないと空を見ることも、景色を見ることも少なくなったように思う。
紅葉も意識せずに気付けていたのだろうか。いつからか五感で感じるのが鈍くなってきたように思う安井です。あなたは何を感じていますか?こんばんは。


テレビからの垂れ流される情報をそのまま受け入れている人、新聞をメインに情報を仕入れている人、ネットを基本に情報を仕入れている人、
情報の取得源っていうのはけっこう多岐にわたる。そして、その先で得られる情報が全てだと思う人が多いようにも思う。

自分は基本は新聞がメインで、ネットを補助的に情報の収集源としている。
仕事柄、ネットに繋がる時間が長いので、どうしてもネットに依存しやすいけど、なるべくそれはやめるようにしている。
特に、2ちゃんねるでニュースをしいれようとすると、どうしても偏ってしまう。

そういうところの話題に乗っかって批判している人ってけっこう多いように思う。
ただ、そういうのを見ていても、批判している人っていうのは本当にそのことを自分で調べて批判しているのかってこと。
一部の人が過剰に言っていることをそのまま受け入れてないだろうか。コトの本質を知っているんだろうか。

自分は嫌いなものは手に取り調べて使ってみて批判をするし、中国嫌いも内部の政治家のことまでいろいろ調べたりする。
それを踏まえての批判をする。だから嫌いなんだって。

例えば、国籍法改正のことなんて典型的だなと思う。
国籍法の改正についてはググってくれたらいろいろ出てくると思うのでそれはそれで。
ネットを中心としてかなりの批判をされている改正法案なんだが、矛先が河野太郎に向いているのはどうかなと思う。

あの法案で変わるのは、外国人の母親と日本人の父親の間に産まれた子どもが、両親の婚姻を無しに父親の認知だけで国籍が取得できるというものである。
それが法案として作られる過程は、国籍が持てなかった子どもがいることで訴訟が起こり、婚姻を前提とした国籍の付与が違法となったことである。
これが最高裁で勝ってしまったものだから、国としてもどうしようもなく作らなければならなくなったという背景がある。

これの改正法案を作るプロジェクトチームの座長をが河野太郎であるということである。
この人が、やろう!って言ったものではない。そこがどうも抜け落ちて、個人の批判になっている。
もちろん、河野太郎がどういう人なのかを知っていれば、これを批判するのはいいと思う。河野洋平の息子で比較的日韓関係についてのことをいろいろしていた人であるから。
余談ながら、個人的に河野太郎には好意を持っているけどね。環境問題に取り組む姿勢とか。

それを踏まえても、この流れは異常としか思えない。
プロジェクトチームもなるべく違法で国籍を取ることを回避しようとはしている。
これで問題にしなければならないのは、このように最高裁の可決が法律改正に深く関わってくるということである。
最高裁で争われている間は国民の関与はむずかしい。決まってからの国会審議などが起きたときに議員への物言いしかできない。
加熱する先が間違っているようにすら思える。

ちょっと長くなったけど、このように批判すべき対象ってのの本質が何なのかを知らないのに、流されるように言う人がとても多いなってことだ。
ニュースのワイドショー化とかが問題になり、ネットユーザーは偏った報道しかしないメディアを批判しているが、
結局のこところ、そんなネットユーザーも同じようなものなんじゃないかってこと。

一面だけを見てそれが全てだと思っているのは誰しも同じなんじゃないかな。
情報化されてきている社会で、得られる情報は極端に増えてきている。ネットを使えば多種多様の言い分を瞬時に得られることができる。
情報をたくさん仕入れて、それを分別し、違う角度から見ようと思えばすぐにできる。

ひとつの事に何かを言うときは、それの逆の考えも見てみるべき。そう思ったのでした。
ま、自分もそれができてない時が多いのも事実なんですけどね、、、

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