2008/12/08

例えば僕とあの時の思い出

中学時代からの友達が結婚ってことで披露宴から行ってきました。
だいぶと一緒に悪さをしてきた仲なので、そんなのが集まった披露宴、二次会は楽しかった。本当にいろいろ思い出したし、いろんなことが話せた。ついつい3次会まで行きましたよw
ま、そんなことしてたよ。ボロ泣きなとこもあったさ、、、
こんな楽しかった結婚式は始めてかな、自分の時もこんなふにしたいな、ども安井ですこんばんは。



先日、起き抜けから強い雨と雷があった。
強い雷雨で目覚めた時、ふと思ったのが「実家の犬は雷が怖いから怖がってないだろうか、、、」ってことだった。

いや、そんな妄想は悲しいことで、2008年4月15日13時45分頃、ペットであり、弟のように親しんできた犬のゼンが死んでいるだ、、、
そのことを思って涙が流れた。
そうだ、もういないんだってことを、、、
ゼンの泣きごえも、嬉しそうな顔も、温もりも、、、

そのことは2008年4月の履歴を見てもらえばよくわかると思う、、、
僕にとってゼンという犬であったペットは、ペット以上の繋がりがあった生き物だった。
ほんとに弟のような存在だった。大好きだった。家族だった。

ま、そうであって、こんなように8ヶ月も経っても、ふとした時に存在を思いだす。
いつまでも心の中に居る。

死者っていうのは、こうやって生きるものが思い出すことによって、生きた証が得られるんじゃないかなと思っている。
それはどこか宗教に結びつくこともあると思うけど、それ以上に自分の心には様々ことが刻み込まれている。
たかだかペットのことだけど、自分にとっては物心付いた時から先日まで一緒にいた家族なんですよね、、、

そいういうことって、別に生物の違いは無く一緒じゃないんじゃないだろうかと思っている。
命の重さってそいういうもんじゃないでしょ。自分は鳥が一匹死んでも涙が流れるよ。だって同じ地球に住む生命だから、、、

ま、ここからまたいろいろ言うのもあれなんで、端折るけど、、、
命の重さって違いはないんですよね、だから「いただきます」ってご飯をたべるのよ。
こんな世の中だからこそ、もっと命って何なのかを気付かなくちゃならないんじゃないかなと思ったのですよね、、、

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