来週にやっと会社の安井歓迎会が開かれるようです。
入社6ヶ月目にしての快挙。
というか、今まで忙しくて飲みに行けるような時間にみんな帰れなかったからね、、、
業務改善やたくさんの諦めを経て、
早めに帰るような風潮になってきたうちのプロジェクトチームです。
いいことだ。太陽たくさんみたいな、こんばんは安井です。
情報化社会、自分で考えることって減ったんじゃないかと思いました。
自分の考えで判断ってしてますか?自分の意見って自分で考えて持ってますか?
真剣になにかについて考えたことありますか?
この頃ちょっと減ってきたなと思っています。
よく思うのは、どこかで誰かが発言した文章を自分のものにしてしまっていること。
ネットだとすごい情報が氾濫していて、誰かがおもしろい発言したらそれを見て、
それをFavaritesやマイリストやブックマークなんかして、まるで自分の考えのように思っている。
そういう風潮ってよくあるなって思ってのです。
Tumblrか何かで流れていた文章にこんなのがあった。曖昧だけど、、、
「ネットは匿名性がとか言うけど、なんだかんだで発言元が誰なのかは解る。
完璧な匿名ではない。でも、国会での議員の野次は誰が何を言ったのか分からない。
こんな匿名は無い。国会議員がどれだけ批判を言っても誰か解らないなんてひどい。
ネットのようにログで残らない。誰が何を言ったかきちんとログとして残すべきだ。」
みたいな文章を見かけた。
パっと見はなるほどねって思うような文章かもしれないが、
国会議員の野次の匿名性なんて無いよなと思う。見学にも行けるんだし、テレビで録画もされている。
ログ残したい人がいたらなんとかできるレベルである。
ただ、誰もやろうとしなかっただけで、できないことはない。
こうやって少しでも自分で考えたらちょっと違うなって思うようなことでも、
すごい情報量が流れてくる中で、考えていろんな側面を見出すのってむずかしい。
そのまま受け止めてしまう場合がある。
公平性を欠いた文章が多くある中で、自分で判別するのは簡単なことじゃない。
それが現代だと、量が量だけに、できなくてそのまま入って来過ぎやしないかな。
簡単にそうだそうだって思ってやいないかな。
それって誰かが何かの為に狙って書いている文章なのかもしれないのに。
特に何かに対して批判する文章は誘導しやすいように思う。
○○党の政治は△△だ!とか、□□のやりかたはまるで▽▽wwwwみたいな。
それにさもそのような説明文を付けられたら信じてしまうかなと思う。
新聞が否定されている風潮だけど、某朝○新聞のように露骨な偏りがあったり、
なるべく中立を保とうとする記事だとか、
個人的には新聞のような、わかっている文章を書いてくれるのは引用しやすいし、信用に足りる部分もある。
新聞が一番って意味じゃない。人にナニカを伝えるのに公正さは必要だと言いたい。
何であれ、自分が受け取った情報はそのまま出すのではなく、
一度自分自身で咀嚼して、本当にその意味なのかを考えるべきである。
誰かにナニカを伝えようとする時に、考えずにコトバを発するのは悪に近いと思う。
インターネットがこれだけ人々の生活に入り込むようになって、得られる情報が増えた。
その情報を右から左に流すだけなんて、それはあなたのコトバじゃない。誰かのコトバ。
あなたが自分で発言するのは、自分で考えて、自分の責任を持って、自分で発言すべきである。
考えないことは罪
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